1月17日に思うこと

毎年この日が来るたびに、当時高校生の時好きだった人の彼女の誕生日が1/17だったことを思い出す。あの地震のせいで、そんなどうでもいいことを毎年ずーっと思い出さなければならないとは!あの女の呪いか!
正直その女の名前も思い出せないほどなのに、そいつの誕生日であったという事実だけが残り続けている。

しかし一応言っておくと、その当時好きだった人と人生やり直して一緒になれるならば?とか考えているわけじゃない。そこまでそんなに好きだったわけでもない。当時の私にとっては、ものすごく好きだったってだけで。
このブログの記事↓を読んですごく、なるほど~と納得したんだけれども、私が感じていることの多くは「恨み」なのかなって思った。
恨みとか後悔とか - 24時間残念営業

人生やり直してその人と仮に一緒になれたとしても、冷静に考えてみるとあんまりうまくいかなさそう、長続きしないんじゃないかっていう気はする。
高校卒業後彼らがどこでどうしているのかは全然知らないんだけど、でも、たまにこうして思い出して、結婚したのかなって考えると「うぁぁぁぁぁーっ!!!」と頭を掻き毟りたくなる。でもそれだけ。別に、私がその人と結婚したいってわけじゃないんだ。

他にも例えば、大学にも行かなかったし就職も出来なかったことに関して、多くの人が進んでいくルートからははじかれて人生を歩むことについてたびたびモヤモヤした気持ちを抱くことがあったのだが(特に毎年4月とか)、それもまた「恨み」の一種なんだろうなと。人生やり直して大学に入りたいっていうわけではないんだよね、冷静になって考えてみると。ただただ「チクショウ」ってだけなんだ。

数年前のモラハラヒモ男の件に関しても、あの時ああいうふうに対処しておけばよかったとかっていう後悔じゃなくて、ただ、多大な精神的苦痛を受けて今でもその後遺症が残っていることと、人生の貴重な時間の一部を無為に棒に振ってしまったことを恨んでいるだけなんだよね。その時に失った金を取り戻したいかというと、そうでもない。仮に金を全て取り戻したとしても、人生を無駄にした時間や精神的苦痛は永久に治らない。それについては自己破産した時に弁護士とも話した。私は金を取り戻すことは望んでいないし、取り戻すためには奴と再び関わらなきゃならないことが一番嫌で、奴の二度と顔を見たくない、私の人生に一切関わらないで欲しいというのが私の一番の望みだったから。
ちなみにこの件に関して夫は全て知っている、了承済みなので。というか私がこのことでどん底にあった時に知り合ったので。何と言うか、谷底へ落ちていったら下で受け止めてくれる人がいたよ、という感じなのである。
このことから今は立ち直ったといえば立ち直ったと言えるのかもしれないが、この出来事について永久に忘れることはできないだろうし、ふとした時に思い出してしまうという精神的苦痛がこの先一生続くのかと思うとぞっとする。

人によくしてもらったこと、嬉しかったことはすぐに忘れてしまうのに怨念や恨み憎しみはいつまでたっても忘れることができない。生きれば生きるほど、心の中がドロドロ真っ黒になっていってしまう気がするよ。環七の脇に積み上げられた雪の塊と同じくらい黒い。