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少し痛い話

今日の昼間にTwitterで話題にした件だけど、探してみたらはてなブログではなくダイアリーのほうにあったので、まるまるコピペして再掲してみる。
一年ほど前の記事だったけど、言っていることは今とほとんど変わらない。


時々、というか半年か一年に一度くらいにとどめているんだけど(あんまりやりすぎると精神衛生上よくないため)昔の知り合いのアカウントをツイッターなどで探している。で昨日も久しぶりに色々と捜索してたんだが、結果的には私が一番探してる人のは発見できなかったが他の昔の知り合いのをいくつか発見。
ネット上で交流があっただけではなく何度か直接会ったこともあって、本名も顔も知ってるし生年月日とか勤務先とか趣味とかも分かるから、いっそのことFacebookやったほうが手っ取り早く探せるんじゃね?って声も聞こえてくるんだが、あそこは話を聞くだけで恐ろしすぎて手が出せないでいる。私はまだアカウントもっていないし、やっている人たちの話を聞いて想像を膨らませているだけなんだが私にはとてもムリだ、と思うような話しか聞かないんだもの。でもいずれはこっそりアカウント登録してこっそりのぞいてみるかもしれぬ。
昔使っていた携帯電話のアドレス帳見れば連絡先も分かるっちゃ分かるんだけど、私がしたいのはそういう事じゃなくて。その人にダイレクトに電話かメールで突撃連絡したいわけじゃないんだ。ツイッターなりブログなりでその人の現在の近況を知り、かげながら見守りたいだけというか。ああああ人に説明するの難しいなあ。たぶん他人は理解できないだろう。
過去に少し交流があって、今は離れてしまってどこでどうしているか分からないって人なら他にもたくさんいるのにその人ばかりにこだわってしまうのは、深く関わる前に楽しい思い出だけで終わってしまって心残りがあるからなんだろうなあと思う。いっそのこと付き合ってしまって、相手の嫌な部分なども見て失望して別れていればすっきりしたのになあなんて。
でもそういう付き合いにならずにある程度の距離を置いたまま終わってしまったのには色々と理由もあって、その人は心の問題で薬飲んだり通院したりしていたということもあったりして、それもあるから現在は元気で無事でやっているのだろうか?と気になっている、というのもある。
その人とはかつて何度か神戸や甲子園へ一緒に野球の試合を観に行っていて(つまり私の大阪時代の話ですな)、ナイターの帰りに車で摩耶山に連れて行ってもらったことが、私の大阪時代の中でも最も美しい思い出として保存されている。それがいけないんだな、と思っている。その後で何か幻滅するような出来事があるべきだった。
また、ここら辺の思い出と切り離せないのがデスチャのラスト・アルバムとビヨンセの1stアルバムで、ちょうどこれらが出た頃の話なんだよね。その人が良いって言ってたから私も買ってみたわけだが(言わせんな恥ずかしい)。
その人だけでなく当時仲良くしていた人たち誰にも、大阪を離れるとか何も言わずに出てきてしまったけど、その当時はまたすぐに戻るだろうと思っていたし。もう8年くらい経ってしまったのかー。私は、顔は今とあまり変わらないと思うけど前のほうがだいぶ痩せてたね(笑)。
他の昔の知り合いのツイッターをいくつか発見した、と書いたけども、その中にやはり一緒に野球の試合を観に行ったりしていた女の子がいて、結婚したこと自体はブログにも書いてあったので知っていたんだけども、最近子供ができたらしいということをツイッターで初めて知り、この感情の中身についても他人に説明するのは難しいのだがとにかくショックを受けて、見なかったことにしてそっとブラウザを閉じたのであった。というわけでフォローしたくてもできなかった。
男の場合はそういうのと比べると変化が少ないほうかもしれないが、それでもやはり結婚したりしていて、ツイッターやブログは子供と嫁の自慢ばかりでアイコンはもちろん自分の子供の写真で、って人も中にはいるからなあ。
だから私が探している人も、もしツイッター発見できたとしても子供の写真のアイコンだったらむしろ見つけないほうがよかったというショックに襲われるだろうしなあと。私は勝手に、今でも結婚していないだろうなんて思っているけど人のことは分からんからね。実際に、なかなか結婚する気配はなかったとある知り合いの男性が普通に結婚したりしてるし(お見合いとかデキ婚とかの「仕方なく婚」ではなくて)。
そういう私だって周りからは結婚するとは思われていなかったかもしれないしね。だから私はたまーに、自慢にならない程度に、なぜ私は結婚したのかってことを正直に真摯に語ることにしているんだけども。