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T2 トレインスポッティングと世界の終末について

最近、というかもう結構な期間になりつつあるが、合間合間にウォーキング・デッドをちょこちょこと観ていて今はもうS6中盤まできた。多くの人が指摘している通り、正直全然話が進まない、マンネリ感もあるにはあるんだけど、時々ものすごくハッとする展開があるのでなんだか見てしまう。全然怖くはない。最初のうちは恐る恐るって感じで見てたけど、すぐ慣れるし、これは生きてる人間が一番怖いというお話なので。


最近観た映画といえばT2だが、90年代というのは世界の終焉がいよいよ間近に迫っていた(はずだった)時期だったなと。我々は物心ついた頃からノストラダムスの予言について散々聞かされ脅され、子供だったからというのもあるだろうけど完全に信じていて、その時を怖れると同時に、それはまた希望でもあった。1999年に全てが終わるというのが。将来を思い悩まなくていいのだ。
しかし現実には世界は終わらずに、我々はそれ以降、一体いつこの世は終わってくれるのか?という絶望と共に仕方なく生き続けるはめになった。希望はうしなわれた。

しかしこうなってしまった以上、とりあえずなんとか生きて行くしかない。
だから、ウォーキング・デッドのようなこの世の終末を描いた作品が世界中でウケてるというのはやはり、このような失望を抱えて生きてる、そして心のどこかで世界の終わりを願ってる人が多いってことじゃないかと思った。みんなが見たいのは、キラキラした週末じゃなくて終末なんだと!

 

デイリーポータルZにもこんな投稿コーナーがあって、ここに載ってるようなのはまあ、どれも微笑ましくて、他人事とは思えないんだけど笑いながら見れる。

portal.nifty.com

 

ところで今回の記事で私は「我々」と書いてるけど、具体的に指しているのは自分と同年代、90年代に10代だった人を主にざっくりとまとめて我々と書いてしまっている。

関東甲信越で生まれ育つとノストラダムスだけじゃなくて関東大震災もまた絶対起きるとか富士山も噴火するとか、とにかく幼いうちからひたすらに脅されまくって育ったよね(笑)。未来だけじゃなく過去の史実でもあの超グログロ原爆映像とか、もうとにかくあれもこれも怖すぎで、過去にも未来にも恐怖しかなく、子供の頃は全然夜眠れなかった、今でも若干後遺症があるほどで、あそこまでする必要があったのか?という疑問を感じる。夜、暗い場所で目を閉じると恐ろしい光景がまぶたの裏に浮かぶんだよね。今はもうそういうのはほとんど薄れたけど、子供の頃はひどかった。もちろん今でも、関東大震災はいずれ起きるしいつか富士山も噴火すると思っている、そのことを決して忘れた訳ではない。核戦争だけなら人間の力でやめることは可能だけど。

 

それはさておきT2 トレインスポッティングは実に素晴らしかった。「しかしこうなってしまった以上、とりあえずなんとか生きて行くしかない」というストーリーも良い。我々のような90年代ゾンビが成仏できる素晴らしい続編であった。もうすでに2回も映画館で観た。1回目は日本公開前日祭の新宿ピカデリーで、2回目はコールドプレイのライヴ行く前にチネチッタ川崎のLIVE ZOUNDで観たんだけどこれが凄すぎた…!時間無理矢理にでもねじ込んで行ってきた価値があった。初見では興奮しすぎてあまり細かいところまで見れなかったのだが2回目となると色々な仕掛けなどにも気づけたし。

わたしはシック・ボーイ派なんだけれけども、20年経ってますますクズさを増してるのが愛おしいし(彼の恋人が「自信なさそうなとことか好き」って言うシーンがあるのだけど、私にとってもそんな感じだ)彼とレントンが一緒にいるシーンは全部良い。特に一番好きなのは二人が並んでただだらっとテレビを見てるところ。あと、スパッドが左利きというのも今回初めて知って、なんだか嬉しかった(左利きの人はみんな兄弟!家族!)。

 

1996年頃にはジョニー・リー・ミラーアンジェリーナ・ジョリーが結婚してて、ブラッド・ピットグウィネス・パルトロウが婚約してたこともあっただなんて、90年代は遠くになりにけりだなあ…と遠い目になってしまったりもする。私は1978年生まれなので、80年代は幼すぎてほとんど記憶がないので思い入れもないんだけど、青春時代となった90年代には並々ならぬ思い入れがあって未だにこの時代の映画とか音楽がやっぱりいいなあーと思うものが多い。